「レシピ通りに作ったはずなのに、パンが膨らまない」「焼き上がりがなんだか酸っぱい気がする」……。そんな経験はありませんか?パン作りにおいて、材料の計量と同じくらい、あるいはそれ以上に重要なのが「温度管理」です。イーストは生き物ですので、活動しやすい温度とそうでない温度がはっきりと分かれています。
この温度のコントロールこそが、ふっくらと美味しいパンを焼くための最大の秘訣と言っても過言ではありません。今回は、初心者の方がつまずきやすい発酵の温度について、そのメカニズムから季節ごとの対策、失敗した時の対処法までを徹底的に解説します。温度計という小さな相棒を味方につけて、あなたのパン作りをワンランクアップさせましょう。
発酵の温度とイーストの関係を知ろう

パン作りを成功させるためには、まず主役であるイースト(パン酵母)の性質を深く理解することが大切です。イーストは単なる粉末ではなく、生きた微生物です。私たち人間が快適な温度で活動的になるのと同じように、イーストにも「元気に働ける温度」と「動けなくなる温度」、そして「死んでしまう温度」が存在します。このセクションでは、イーストと温度の密接な関係について、生物学的な視点を少し交えながら、わかりやすく紐解いていきましょう。
イーストが元気に活動する温度帯とは
イーストが最も活発に活動し、パン生地を膨らませるための炭酸ガスや、パンの風味となるアルコールを生成する温度帯は、一般的に25℃から35℃の間だと言われています。この温度帯は、イーストにとってまさに「春の陽気」のような快適な環境です。
具体的には、25℃〜30℃付近では生地の熟成とガスの発生がバランスよく行われ、風味豊かなパンになりやすい傾向があります。一方、30℃〜35℃に近づくとガスの発生が優先され、ぐんぐんと生地が膨らみます。市販のパンのレシピで、一次発酵の温度が30℃前後、二次発酵が35℃〜38℃前後に設定されていることが多いのは、このイーストの特性を工程ごとに使い分けているからです。まずはこの「黄金の温度帯」を意識することから始めましょう。
温度が低すぎるとイーストはどうなる?
では、温度がこの適温よりも低い場合、イーストはどうなるのでしょうか。温度が低くなると、イーストの活動は徐々に鈍っていきます。特に10℃を下回ると、活動はほぼ停止状態、つまり「冬眠」のような状態に入ります。
しかし、これは「パンが作れない」という意味ではありません。活動がゆっくりになるということは、時間をかけてじっくりと発酵が進むということです。この低温帯をあえて利用するのが、後ほど詳しく解説する「冷蔵発酵(オーバーナイト法)」です。温度が低い環境では、雑菌の繁殖も抑えられるため、長時間発酵させても生地が傷みにくいというメリットもあります。ただし、急いでパンを焼きたい時に生地の温度が低いままだと、いつまで経っても膨らまない「発酵不足」の原因になってしまうので注意が必要です。
温度が高すぎると起こる深刻な問題
逆に、温度が高すぎる場合はどうでしょうか。イーストは40℃を超えると活動が過剰になりすぎ、生地の状態が悪くなることがあります。そして、60℃を超えるとイースト菌は死滅してしまいます。一度死んでしまったイーストは、その後どんなに温度を下げても二度と復活することはありません。
初心者の失敗でよくあるのが、予備発酵や仕込み水に熱湯を使ってしまうケースです。これではこねる前からイーストが全滅してしまいます。また、発酵温度が高すぎると、ガスの発生スピードが速すぎて生地の骨格(グルテン)の形成が追いつかず、キメの粗いパサパサしたパンになったり、アルコール臭がきつくなったりします。これを「過発酵」と呼び、パンの風味を損なう大きな原因となります。「温めればいい」というものではなく、適温を守ることが何より重要なのです。
パン作りにおける一次発酵と二次発酵の適切な温度

パン作りには通常、「一次発酵」と「二次発酵」という2回の発酵工程があります。「なぜ2回も発酵させるの?」「温度を変える必要があるの?」と疑問に思う方も多いでしょう。実は、この2つの工程はそれぞれ目的が全く異なります。目的が違えば、当然適した温度も変わってくるのです。ここでは、それぞれの発酵工程における理想的な温度とその理由について詳しく見ていきます。
一次発酵の基本温度と役割
一次発酵の主な目的は、生地の中でイーストを増殖させ、炭酸ガスを発生させて生地を膨らませること、そして何より「生地を熟成させて風味を生み出すこと」にあります。この段階では、単に大きく膨らませることよりも、小麦の旨味を引き出し、伸びの良い生地を作ることが優先されます。
そのため、一次発酵の適正温度は28℃〜30℃程度と、やや低めに設定されるのが一般的です。この温度帯でじっくりと時間をかけることで、イースト以外の酵素なども働き、パン独特の甘みや芳醇な香りが生まれます。もしここで温度を高くしすぎて急激に発酵させると、味気ないパンになってしまいます。一次発酵は「味を作る時間」と捉え、焦らずゆっくりと待つ姿勢が大切です。
二次発酵は少し高めにする理由
成形(パンの形を作ること)の後に行う二次発酵の目的は、焼成に向けて「生地を最終的な大きさに膨らませること」です。成形によって一度ガスが抜けて引き締まった生地を、再びふんわりと緩め、オーブンの熱に耐えられるボリュームを持たせる必要があります。
そのため、二次発酵の温度は一次発酵よりも少し高い35℃〜38℃(食パンなどの型に入れるパンの場合は40℃近くにすることもあります)に設定します。この高めの温度帯ではイーストのガス発生能力が最大化され、短時間で効率よく生地を膨らませることができます。ただし、40℃を超えると生地がダレやすくなるため、上げすぎには十分注意しましょう。また、乾燥を防ぐために湿度を保つことも、この段階では非常に重要になります。
冷蔵庫を使う低温長時間発酵の魅力
最近、家庭製パンで非常に人気が高まっているのが「低温長時間発酵」や「オーバーナイト法」と呼ばれる手法です。これは、あえて冷蔵庫の野菜室など(5℃〜10℃前後)の低温環境に生地を一晩(8時間〜12時間程度)置いて、ゆっくりと一次発酵させる方法です。
この方法の最大のメリットは、温度管理がシビアな室温発酵に比べて失敗が少ないこと、そして何より「パンが圧倒的に美味しくなる」ことです。低温で長時間発酵させると、生地内の水分が粉の芯まで浸透し、しっとりとした食感になります。また、熟成が進むことで小麦本来の甘みが強く引き出されます。忙しい方にとっても、夜に生地を仕込んで朝焼くというスケジュールが組めるため、非常に理にかなった発酵方法と言えるでしょう。この場合、温度は「上げない」ことがポイントになります。
湿度も温度と同じくらい大切
温度の話に集中しがちですが、発酵において「湿度」も温度と同じくらい重要な要素であることを忘れてはいけません。特に乾燥した環境はパン生地の大敵です。生地の表面が乾燥してしまうと、皮が厚くなって膨らみを阻害してしまいます。
理想的な湿度は、一次発酵・二次発酵ともに75%〜85%程度です。発酵器(ホイロ)を持っていれば湿度管理は簡単ですが、家庭のオーブンの発酵機能を使う場合は乾燥しやすい傾向があります。その場合は、庫内に湯を入れたココットを一緒に置いたり、生地に濡れ布巾やラップをふんわりとかけたりして、湿度を補う工夫が必要です。適切な温度と湿度が揃って初めて、イーストは最高のパフォーマンスを発揮してくれるのです。
パンの種類によって変わる最適な温度

「発酵温度は30℃」というのはあくまで目安であり、全てのパンに当てはまるわけではありません。パンの種類、つまり配合(リッチかリーンか)や、目指す食感(ハードかソフトか)によって、最適な発酵温度は微妙に異なります。プロのパン職人は、この微調整によってパンの個性を引き出しています。ここでは、代表的なパンの種類別に、意識すべき温度の違いを解説します。
ハード系パンは低めの温度が鉄則
フランスパン(バゲット)やカンパーニュなどの「ハード系」と呼ばれるパンは、砂糖や油脂がほとんど入らないシンプルな配合が特徴です。これらのパンの魅力は、小麦そのものの風味と、バリッとしたクラスト(皮)、そして気泡の入ったクラム(中身)にあります。
ハード系のパンを作る場合、発酵温度は24℃〜26℃といった低めの温度設定が好まれます。高い温度で短時間に発酵させると、気泡が細かくなりすぎたり、小麦の風味が飛んでしまったりするからです。低めの温度で時間をかけて発酵させることで、生地のコシを保ちつつ、ハードパン特有の大きな気泡と深い味わいを生み出すことができます。夏場などは室温が高くなりがちなので、特に温度管理に気を使う必要があります。
リッチな菓子パンはバターに注意
ブリオッシュやバターロール、甘い菓子パンなどの「リッチ系」の生地には、バターや卵、砂糖がたっぷりと使われています。これらの副材料はイーストの活動に影響を与えるだけでなく、温度に対するデリケートさを生み出します。
特に注意したいのが「バターの融点」です。バターは30℃前後から溶け始めます。もし二次発酵の温度を高くしすぎて35℃や40℃にしてしまうと、生地の中に練り込まれたバターが溶け出し、生地がベタベタになったり、焼き上がりが油っぽくパサついた食感になったりします(これを「バター漏れ」と呼びます)。そのため、バターの配合が多いパンの場合は、二次発酵であっても28℃〜32℃程度に抑え、その分時間を長めにとるという工夫が必要です。リッチなパンほど、温度の上げすぎには慎重になるべきです。
天然酵母とイーストの違い
使用する酵母の種類によっても、快適な温度帯は異なります。ここまで解説してきたのは、一般的に使われている「インスタントドライイースト(サッカロマイセス・セレビシエ)」を基準にした温度です。
一方で、自家製酵母やホシノ天然酵母などの「天然酵母」を使用する場合は、発酵温度や時間が大きく異なります。多くの天然酵母は、ドライイーストよりも発酵力が穏やかで、活動に適した温度帯も少し低めの25℃〜28℃くらいを好むことが多いです。また、長時間の発酵を必要とするため、温度変化の少ない安定した環境を用意することが重要になります。自分が使う酵母の説明書やレシピをよく確認し、その酵母の「個性」に合わせた温度管理をしてあげることが成功への近道です。
捏ね上げ温度が発酵の温度管理を楽にする

パン作りのレシピ本を見ていると、「捏ね上げ温度」という言葉が出てくることがあります。初心者の方には聞き慣れない言葉かもしれませんが、実はこれが発酵をスムーズに進めるための最大の鍵を握っています。発酵器の温度設定だけでなく、生地そのものの温度をコントロールするという考え方です。これを知っているだけで、パン作りのレベルが一気に上がります。
そもそも捏ね上げ温度とは?
捏ね上げ温度とは、その名の通り「こね上がった直後のパン生地の温度」のことです。この温度が、その後の一次発酵のスタート地点となります。一般的に、捏ね上げ温度の目標は26℃〜28℃が良いとされています。
もし捏ね上げ温度が20℃しかなければ、発酵適温になるまでに長い時間がかかり、発酵不足になりがちです。逆に35℃以上になってしまうと、発酵が始まる前から過発酵気味になり、生地がダレてしまいます。つまり、こね終わった時点で「理想のスタート温度」にしておくことで、その後の発酵管理が非常に楽になり、失敗のリスクを大幅に減らすことができるのです。プロの現場では、この捏ね上げ温度を0.1℃単位で管理するほど徹底されています。
水温でコントロールする計算式
では、どうやって捏ね上げ温度をコントロールするのでしょうか。室温や粉の温度を急に変えることはできません。そこで調整するのが「仕込み水(水温)」です。以下の計算式を使うことで、理想の捏ね上げ温度にするための水温を導き出すことができます。
【仕込み水の温度計算式】
水温 = 3 ×(目標捏ね上げ温度)− (室温 + 粉の温度 + 摩擦熱)
※摩擦熱の目安:手ごねの場合 5℃〜8℃、機械ごねの場合 8℃〜15℃
例えば、目標捏ね上げ温度を28℃、室温20℃、粉温20℃、手ごね(摩擦熱5℃と仮定)の場合で計算してみましょう。
3 × 28 − (20 + 20 + 5) = 84 − 45 = 39℃
つまり、39℃のぬるま湯を使ってこね始めれば、こね上がりでちょうど28℃くらいになる、という計算です。少し難しそうに見えますが、慣れると感覚で「今日は寒いから少し温かめにしよう」と調整できるようになります。
粉の温度や室温も重要
計算式からもわかるように、仕込み水の温度を決めるには「室温」と「粉の温度」を知る必要があります。特に粉の温度は室温に影響されるため、夏場は粉を冷蔵庫で冷やしておくなどの工夫が有効です。
夏場に「生地がベタベタしてまとまらない」という失敗が多いのは、室温と粉温が高いため、水道水をそのまま使うと捏ね上げ温度が高くなりすぎてしまうからです。逆に冬場は、室温も粉温も低いため、かなり温かいお湯を使わないと生地が冷え切ってしまいます。温度計を一つ用意して、作業前に室温と粉温、そして水温を測る習慣をつけるだけで、一年中安定したパン作りができるようになります。
自宅で発酵の温度を一定に保つための工夫

パン屋さんには業務用の立派な発酵器(ホイロ)がありますが、一般家庭でそこまでの設備を持っている方は少ないでしょう。しかし、身近な道具や少しの工夫で、発酵に適した環境を作ることは十分に可能です。ここでは、自宅のキッチンで温度を一定に保つための具体的なアイデアをいくつか紹介します。
オーブンの発酵機能を活用する
最も手軽で確実な方法は、家庭用オーブンレンジについている「発酵機能」を使うことです。最近のオーブンには、30℃、35℃、40℃など温度を選べる機能がついているものがほとんどです。
ただし、注意点もあります。オーブンの機種によっては、設定温度と実際の庫内温度にズレがあることが珍しくありません。「35℃に設定したのに、庫内温度計で測ったら45℃もあった」ということもよくあります。一度、庫内温度計を使ってご自宅のオーブンのクセ(温度が高めに出るか、低めに出るか)を確認しておくことを強くおすすめします。また、冬場は庫内が乾燥しやすいので、必ずお湯を入れた容器を一緒に入れて湿度を補いましょう。
発酵器がない場合の代用アイデア
オーブンの発酵機能を使っていると、その間予熱ができないというデメリットがあります。そこで役立つのが、電源を使わない「簡易発酵室」のアイデアです。
- 発泡スチロールの箱を使う:
保温性が高い発泡スチロールの箱に、生地を入れたボウルと、お湯を入れたマグカップを一緒に入れ、蓋をします。お湯の熱と蒸気で、適度な温度と湿度が保たれます。温度が下がったらお湯を入れ替えるだけなので簡単です。 - クーラーボックスを使う:
夏場のアウトドアで使うクーラーボックスも、保温・保冷効果が抜群です。冬場は温かい環境を作るのに役立ちますし、夏場のオーバーナイト発酵(保冷剤を入れて温度を上げすぎないようにする)にも使えます。 - 電子レンジの庫内(加熱なし):
コップ一杯の水を電子レンジで沸騰させ、庫内を蒸気で満たします。その直後に生地を入れれば、密閉された温かい空間になります。
温度計を使って正確に測る習慣
「ぬるま湯」「人肌程度」という感覚は、人によって、またその時の室温によって大きくズレてしまうものです。失敗を減らすための最短ルートは、デジタル温度計を使うことです。
水温を測る時だけでなく、発酵中の生地の中心温度を測るためにも使えます(中心にブスッと刺して確認します)。発酵上がりの目安として、生地温度が一次発酵終了時とほぼ同じか、わずかに上昇している状態が理想です。数百円から千円程度で購入できるキッチン用の温度計が一本あるだけで、パン作りの再現性は劇的に向上します。「なんとなく」をやめて「数値」で管理することが、美味しいパンへの第一歩です。
まとめ

美味しいパンを焼くために欠かせない「発酵の温度」について、基礎知識から具体的なテクニックまでをご紹介しました。温度管理というと難しく感じるかもしれませんが、要点を押さえれば決して複雑なことではありません。
今回のポイントを改めて振り返ってみましょう。
まず、イーストが元気に活動するのは25℃〜35℃であり、この範囲内でコントロールすることが基本です。一次発酵は28℃〜30℃で風味を育て、二次発酵は35℃前後でふっくらと膨らませるという使い分けが大切でした。また、捏ね上げ温度を計算して仕込み水の温度を調整することで、発酵のスタートダッシュを成功させることができます。
パンの種類によって、ハード系は低め、リッチ系はバターが溶けない温度といった微調整も、こだわりのパンを焼くためには重要です。そして何より、温度計を使って感覚ではなく数値で管理することが、失敗を未然に防ぐ最大のコツです。
イーストは生き物です。季節やその日の天気、室温に合わせて、彼らが一番働きやすい環境を整えてあげること。それがパン作りをする私たちの役割です。ぜひ、今日からのパン作りに温度管理を取り入れて、お店にも負けない極上のパンを焼き上げてくださいね。




コメント